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国立劇場「2.0」を考える(後編):伝統芸能の保存・振興を超えた新たな「日本らしさ」探求の場として

伝統芸能の「博物館」国立劇場創設(1966年)当時の議論をひも解くと、「世界芸能としての日本芸能の生きた博物館」のように、「国立劇場」を「博物館」に例えた発言が見られる。校倉(あぜくら)造りの外観を打ち出した設計者の岩本博行氏にも「すでに古典となった日本の宝である歌舞伎や芸能を正倉院風の倉に収めて残す」(下線筆者)との発言がある(1963年、朝日新聞への寄稿)。今でこそ、日本の博物館・美術館(英語...

建て替え計画が難航している国立劇場(東京・千代田区)。閉場の長引くこの空白期間こそ、実演関係者をはじめ国民全体が、既成のイメージにとらわれずに「国立劇場」に何を求めるのかを議論する絶好の機会だ。二代目国立劇場を新たな創造・文化交流・発信の拠点へと深化させる契機としたい。

伝統芸能の「博物館」

国立劇場創設(1966年)当時の議論をひも解くと、「世界芸能としての日本芸能の生きた博物館」のように、「国立劇場」を「博物館」に例えた発言が見られる。校倉(あぜくら)造りの外観を打ち出した設計者の岩本博行氏にも「すでに古典となった日本の宝である歌舞伎や芸能を正倉院風の倉に収めて残す」(下線筆者)との発言がある(1963年、朝日新聞への寄稿)。

今でこそ、日本の博物館・美術館(英語ではともにmuseum)は、さまざまな企画や展示で活気にあふれている。だが、古今東西、museumには、歴史の貴重な断片を守ろうとするあまり、その息吹を奪い権威の檻(おり)に閉じ込めるイメージもまとわりついてきた。ドイツの社会学者テーオドル・アドルノは、強烈な皮肉を込めてmuseumを「mausoleum(巨大霊廟)」になぞらえ、芸術作品が陳列物として死蔵されていく懸念を表現している。

国立劇場が「巨大な墓場」と化さないように、実演家を含めた国民それぞれが、自由な視点で次の百年に向けた大きなビジョンを描き、二代目国立劇場の未来を、豊かに広げてゆく好機は、今しかない。議論の手掛かりをつかむために、歴史的文脈を踏まえた上で、日本の文化政策の「現在地」に目を向けてみたい。

ナショナル・シアターの誕生: 「国民の/国民のための劇場」

「ナショナル・シアター」の発祥は、欧州にある。王侯貴族ではなく、市民が政治を担う社会が築かれてゆく近代国民国家への移行と、軌を一にして登場した。長らく許可制や検閲に表現を押さえ付けられてきた市民が、ようやく勝ち取った「自由」の象徴であり、市民が政治を担う時代に入ったからこそ、その責を担えるだけの教養と判断力とを培おうとする意欲の結晶であった。

封建時代の宮廷劇場とは異なり、ナショナル・シアターの本質は、国家でも、一部の特権階級でもなく、広く国民(ネイション)が求めて確立した「国民の/国民のための劇場」という姿勢にあった。そして納税している「みんな」のものだからこそ、税を集めた国家に支出を求めたのである。

他方で、国民国家の体制を安定させるために、国家もまたナショナル・シアターにさまざまな思惑を寄せていった。ナショナル・シアターは、黎明(れいめい)期から「国民劇場」にも「国家劇場」にも転変しうる両義性を帯びていた。

日本の国立劇場は、第二次大戦後、戦時中の表現弾圧や利用の記憶も薄れていない中で、欧州がかつて経験した国家と芸術家の緊張関係とナショナル・シアターの試行錯誤を知る実演家たちに警戒されつつ、成立したのであった。

文化政策の現在地:効率重視の中で価値が揺らぐ芸能・芸術

現代に目を移すと、1980年代後半までに、西側先進国の多くで福祉国家体制が終えんを迎え、新自由主義的な「効率化」を求める視点が、行政にも公共機関にも導入された。文化政策も、公的資金の投入に値する実利的な意義を明確にする必要に迫られてゆく。

1990年代までに当地の文化政策は、その中核であった芸術や文化そのものの振興を越えて、経済効果、まちおこし、観光、福祉、多文化共生などと結び付けて、人々の生活とまちづくりに総合的に役立つ「処方せん」として、多方面で社会的な意義をアピールすることで、かろうじて財源を維持・確保するようになった。

この過程で文化は、あらゆる大義名分に貼り付けられる“万能膏(こう)薬”となった。けれども、芸術や文化そのものの価値を正面から世間に対して論ずることや、卓越性・専門性の追究を強調する姿勢は、徐々に政策から後景化した。大衆一般を疎外するエリート主義的な態度とみなされることを懸念したのである。

他方日本では、実演・芸能は大衆の身近にあり、観客や民間事業者が熱心に芸の継承を支えてきた。それは美点ではあったものの、常に公的予算規模に比例して社会に意義を説明しなければならなかった欧州と比べると、文化行政や公共的な文化機関の理論武装はもろく、未成熟だった。

このような状況の日本にも、西欧の文化政策が直面した存在意義の問い直しとそれを受けた政策トレンドは、ほどなくして流入した。日本の実演家の芸の水準は高く、良い観客にも恵まれてきた。にもかかわらず、一定の政策が求められる「制度化」──専門集団の職場としての公共的な劇場制度の確立や、その社会的意義の根拠付け、職業人としての実演家の職能の尊重や働き方の特殊さを踏まえた稼得(かとく)構造の安定的産業化など──の側面では、相対的に脆弱(ぜいじゃく)な状態にとどまった。国立劇場と同時に「再整備」されるべき政策の課題は、山積している。日本の文化政策は今、こうした現在地にある。

「国民の劇場」を取り戻す

日本の国立劇場は、日本の芸能の在り方と明治以降の欧州志向の文化政策とのはざまに陥ってしまった存在のように思える。西欧のような高度な「制度化」には向かわなかったものの、「敷居が高い」イメージは形成されたために、大衆一般に対する求心力も弱い。かつての国立劇場法は、1990年に別の法律に改正され、「国立劇場=伝統芸能」を明示的に成り立たせていた法的根拠も、もはや存在しない。

その出発点において伝統芸能の「保存及び振興」を目標に掲げたがゆえに、大衆芸能から発したはずの伝統芸能を核としながらも、国立劇場は、いつしか社会とのつながりを断たれた遠い存在となり、今を生きる人々とは無縁の過去の遺産を、単に「保存」し「再現」するだけの場だと捉えられていないだろうか。

今日、民主社会を基盤とする国々のナショナル・シアターでは、オペラやバレエを古典的な演出に忠実に「再現」する公演は、相対的に少なくなりつつある。古典となった作品や身体技法を通じ、現代社会といかに対話するか──その探究こそが創造であり、プロの使命であると担い手たちは理解しており、観客もまたそれを求めるからだ。

広く支持される芸能の本質は、決して国民性や高尚さにあるわけではない。おかしさ、楽しさ、そして時には世の不条理に立ち向かう人々への共感と自己投影を引力として、人間が普遍的に共有する価値観の現在地を確認できる時空間にある。

次代の国立劇場の挑戦

伝統芸能に携わる方々と語り合うと、演者ら自身は、日々芸に精進し、自分たちの芸に現代的意義を問い掛けながら、「創造」に挑み続けている様子が見えてくる。

建て替えのため閉場する国立劇場の記念式典で、至芸を披露する文楽の桐竹勘十郎(左)と吉田和生(右)=2023年10月、東京都千代田区(共同)
建て替えのため閉場する国立劇場の記念式典で、至芸を披露する文楽の桐竹勘十郎(左)と吉田和生(右)=2023年10月、東京都千代田区(共同)

伝統芸能の廻(まわ)り舞台が、欧州の舞台機構に採り入れられ、淡路人形浄瑠璃が、ブロードウェイの「ライオン・キング」の演出にインスピレーションを与えたように、日本の伝統芸能が国際的に舞台芸術の発展に貢献してきた役割は、決して小さくない。20世紀を代表するフランス出身の振付家モーリス・ベジャールは、「ザ・カブキ」(『仮名手本忠臣蔵』が題材)や「M」(三島由紀夫が題材)など、日本とその思想を題材にした作品でも知られる。自身が開いた舞踊学校では、ダンサーたちに剣道の授業も受けさせたという。

同じように、例えば、二代目国立劇場は、世界の身体表現や演劇・舞台の表現を深く追究する「実験場」として、人類の実演表現の深化に貢献する国際的な拠点になることもできるはずだ。日本国内をはじめ、さまざまな国・地域で、また異なるジャンルで芸を鍛錬してきた者たちが交わる中で、動きや認知を分析する最先端のテクノロジーも採り入れ、現代だからこその伝統芸能への理解を研ぎ澄まし、表現を磨く──海外の人たちとの交流を「観客」(観光)のみに限定せず、表現者同士こそが、互いに刺激し合いながら、ともに身体表現や舞台の在り方を探究し、磨き合い、公開する国際的な拠点である。国立劇場は、長年にわたり芸の継承者養成にも取り組んできた。養成と研究は国立劇場の強みである。伝統芸能自体の価値と一緒にして論ずることで曖昧にしたりせず、あまたのホールとも異なる「国立劇場」の存在理由と在り方を、明確に紡いでゆく必要がある。

実演芸能の今日的価値

日本の芸能は、古くは大陸の影響を受け、鎖国中に独自の成熟を遂げ、近代以降は西洋、そして戦後は米国からの影響を受けながら、「世界との交差点」ならではの独自の文化を育んできた。多様な文化圏との活発な交流と独自性の探究の両極こそが、今日の「日本らしさ」を生み出した。交流を基盤とした多様性やハイブリッド性から刺激を受け、しなやかに自己を形成する──こうした姿勢こそ、「わが国古来の伝統的な芸能」の本質である。

抽象的な思考であればAI(人工知能)にも任せられる時代には、身体を通した「芸」や「伝承」の価値は、今以上に貴重なものとなる。実演ならではの強みを生かして、(発声や演奏を含めた)身体性の追究や、複雑な色味や触感を伝える衣装や美術、照明が人々の認知に与える効果を解明し、国民生活に広く還元することも求められる。地方で培ってきた芸能との連携強化も必要だ。

他方で実演は、表に出ない非常に多くの人たちが働いている人間集約型産業であることも忘れてはならない。古典的名著『舞台芸術──芸術と経済のジレンマ』(W.J.ボウモル&W.G.ボウエン)が明らかにしたように、舞台芸術は、実演家や表に出ない担い手を全面的に機械化・マニュアル化し、効率的・画一的に費用を圧縮し、量産して、利潤を上げるようなやり方が容易な(そして求められる)種類の産業ではない。こうした働き方の特性にも配慮が必要で、利潤や効率を求めすぎて、働く人が得られるはずの喜びや尊厳、そして正当な報酬が犠牲にされてはならないのは、実演業界も例外ではない。

実演家たちは積極的に発言を

閉場によって公演機会が減ってしまった伝統芸能に携わる方々は、他方で、これからの百年を見据えた「国立劇場」のビジョンと土台を作るための、またとない歴史的議論の舞台に「主役」として立つ機会に巡り合わせた。観客としての国民も同様である。

実演を生業(なりわい)とするさまざまな専門分野や世代の人々には、それぞれの視点から、積極的に自らの考えを発信してほしい──「国立劇場」の意義、作品が表現しようとする魂、日々感じる実演業界の課題、芸に託した夢や理想──それらを紡ぎ出す言葉が、この業界に対する国民の理解と豊かな議論の触媒となり、新たな国立劇場の扉を開いてゆく。

【主要参考文献】

  • 石原重雄『取材日記 国立劇場』(桜楓社、1969年)
  • 文化財保護委員会「国立劇場 修正版」(1957年)
  • 国際建築協会編『国際建築』(美術出版社、1957年)

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バナー写真:papa88/PIXTA

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