日本ワインの可能性《後編》 世界を魅了する北海道・余市─「奇跡」の礎になった“七人の侍”
世界で最も影響力のあるワイン評論家も高く評価する北海道余市町のワイン。いくつかの銘柄が海外のワインコレクターや有力ワイン商のターゲットになりつつある。10年前には夢にも見なかった現在の興隆の背後には、1980年代にさかのぼるこの地域の農業改革の歴史があった。
リンゴ暴落から「災い転じて福」
今年4月、イギリス人ワインジャーナリストでワイン評論家のジャンシス・ロビンソンさんが6年ぶりに来日した。その道50年、英紙「フィナンシャル・タイムズ」にコラムを持ち、自ら編集長を務めるワイン情報サイト「JancisRobinson.com」の有料会員は80カ国以上に広がる。世界で最も影響力のあるワイン評論家と言っていい人物だ。
今回の彼女の来日の目的は、近年目覚ましい進化を遂げている日本ワインを試飲し、自身の持つ情報をアップデートすることだった。旧知の日本人ジャーナリストの助けを借り、スパークリング1、白13、赤10の計24本の日本ワインを試飲。白7、赤9、計16アイテムに20点満点中16.5点(良好から優良レベル)以上を付けた。注目すべきは、そのうち5アイテムが北海道余市町のブドウを使ったワインだったことだ。
余市のワインが5年ほど前から急速に世界に認められるようになった経緯については「前編」で述べた。その起点は、けん引者とされる曽我貴彦さんがドメーヌ・タカヒコを立ち上げた2010年とするのが一般的な見方だが、実はそれより30年も前に「礎」が築かれていた。
世界の扉をこじ開けたドメーヌ・タカヒコの「ナナツモリ ピノノワール」
寒冷地の北海道の中では比較的温暖な余市。明治時代からリンゴ、生食用ブドウ、サクランボ、ナシなど果樹の栽培が盛んだった。ところが、1970年代に安価な外国産のフルーツが入ってきて主力作物であるリンゴの価格が下落し始める。80年代に入ってもその動きに歯止めがかからず、ひと頃は1箱(18キロ入り)で2000円以上だったのが、200~300円にまで暴落、農家は存亡の危機にひんしてしまったという。
この窮地を脱するべく立ち上がったのがのちに“七人の侍”と呼ばれるようになる7人の農家──藤本毅さん、木村忠さん、田崎正伸さん、中井博史さん、安芸慎一さん、土野(ひじの)茂さん、広瀬一也さん──だった。83年、7農家はそれぞれの果樹園のリンゴの木を伐(き)り、ワイン用ブドウの苗を植えることを決意する。ワイン用ブドウはワイナリー相手の契約栽培が中心であるため、市場の動きに左右されず、収入の安定が見込めると彼らは考えた。寒冷地適応品種とされるセイベル、ミュラー・トゥルガウ、ケルナー、ツヴァイゲルト、ピノノワールなどを試した。
数年後にはワイナリーとの契約を上回る収穫が得られた。すると、彼らの後を追うように他の農家もワイン用ブドウの栽培に転じていく。現在、余市のワイン用ブドウ生産者の数は72軒、栽培面積は160ヘクタールを超え、収穫量は964.9トン(余市町政策推進課調べ。生産者数は2024年、その他の数字は23年)。ワイン用ブドウの生産シェアは北海道が全国の3割を占めるが、その半分近くは余市町とその周辺の後志(しりべし)地方産である。
「彼らのブドウと出会ってその質の高さを知ったこと、そして余市が生食用ブドウではなくワイン用ブドウに特化した産地として確立していたことが、僕が就農先に余市を選んだ大きな理由になりました」とドメーヌ・タカヒコの曽我さんは語っている。曽我さんは就農前後の数年間、自身の畑のブドウが成長するまで木村農園(木村忠さん)のブドウを購入、醸造してワインをリリースし、それが早々に高評を得たことで、ワイン造りが軌道に乗ったという経緯がある。
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ナナツモリのブドウ畑。元は7種の果樹が育つ森だった
試行錯誤の20年
2025年3月、まだ根雪の残る畑で木村忠さんの息子、幸司さんに話を聞いた。木村農園は、良質のピノノワールでつとに知られる。フランス・ブルゴーニュから北海道・函館に進出した名門ド・モンティーユ家も自社の畑と設備が整うまでは木村農園など余市のブドウを買い、委託醸造でワインを造った。
「ピノノワールを植えたのは1985年です。最初の何年かは糖度も上がらず、色も乗らなくて、まったく良い果実が取れませんでした」
ピノノワールは飲む人を魅了するワインとなる高貴品種の筆頭だが、その一方で病害や悪天候に弱く、栽培が難しい品種の代表格とされる。他の農家が相次いでピノノワールに見切りをつけ、別のブドウに植え替えるなか、木村さんだけが諦めずに工夫を重ね、栽培を続けた。この間ブドウを買うことで支え続けたのが、90年代半ばから同農園と契約している北海道中央葡萄酒・千歳ワイナリー。この会社も余市がピノノワールの産地になる可能性を信じ、そこに賭けていた。
畑の中で優れたブドウ木を選び、それらから穂木(接ぎ木に使う枝)を取り、新たな株に仕立て育てる手法をマサル・セレクションという。特定のクローンの苗木を購入する方法と比べ、手間のかかるこの方法を木村父子は根気よく続けた。また仕立てを高くし、葉を多めに茂らせることで余市のブドウの特徴である「酸の高さ」を強調、収量を抑え収穫のタイミングをギリギリまで後ろに延ばすことでブドウの熟度を高めるなど、独自の栽培手法を試行錯誤の中から見出していく。
「成果が見えたのは、ブドウを植え始めて20年が経った頃でした」と幸司さん。
幸司さんが家業を受け継いだ2008年はこれまでにない良いブドウが生(な)った。その背後には木村父子の奮闘に加え、地球温暖化の影響で余市がピノノワール栽培に好適の気候帯になってきたこともあった(1998年頃、同地方のブドウ生育期の平均気温が14度以上となる「気候シフト」が起こった〈北海道農業研究センター資料〉)。努力の先に幸運が控えていたのだ。この年の収穫の一部が当時長野の実家(小布施ワイナリー)に身を寄せていた曽我さんの手に渡り、彼が初めて自ら手がけた先述のワインとなる。
あるワインバイヤーは「木村さんのブドウには独特のエロチックな風味がある」と表現する。ジャンシス・ロビンソンさんが良い評価をしたワインの中の2アイテム、「千歳ワイナリー 北ワイン ピノノワール プライベートリザーブ2021」と「ド・モンティーユ&北海道 ピノノワール 學Etude2020」は木村農園のピノノワールを使ったものだ。6年前、日本ワインの中では白ワインが評価できると語っていたロビンソンさんは、今回の来日で「赤ワインのクオリティーを見い出した。北海道には特に関心があり、ぜひ行ってみたい」という趣旨のコメントを残している。
ブルゴーニュから北海道に進出したド・モンティーユ家のエチエンヌさん。手にしている「驚 ピノノワール2019」のブドウは木村農園から
ワインと農家の理想形
“七人の侍”の一角「中井観光農園」は、現在は4代目の中井淳さんが代表を務める。余市のシンボルであるシリパ岬を遠望する広大な畑で栽培するブドウはケルナー、ソーヴィニョン・ブランなど白ブドウ中心に、ピノノワールも含め8種類。多様な果樹を栽培してきた経験をブドウ栽培にも生かし、高い品質をキープ。契約する造り手からの信頼も厚い。
中井観光農園のブドウ畑が広がる丘から余市の街並みとシリパ岬を見晴らす
5代目の瑞葵(みずき)さんは、栽培に加え醸造も自ら手がける道を選んだ。2年間の就農研修の場所となったのはドメーヌ・タカヒコだった。2023年に酒造免許を得てドメーヌ・ミズキナカイを設立。瑞葵さん自身による最初のワインはタンクの中で今年夏ごろのリリースを待つ。実は彼はアルコールをあまり飲めないという。「濃いワインが得意ではないので、自分で飲んでもおいしいと思える、口当たりの柔らかいロゼと白を造っています」と言う。まさに現代の若者の嗜好(しこう)であり、行動原理だ。
醸造所に立つ中井瑞葵さん(写真左)。初期投資を抑え、最低限の器材で醸造を始めるのも余市スタイルだ。父の淳さん(写真右)は、息子が新たに展開する醸造の仕事を暖かく見守る
曽我さんは、自身が就農した時点から「既存のブドウ農家が自分でワインを造るようになれば、余市の産地形成に弾みがつく」という考えを持っていた。瑞葵さんのドメーヌ(ブドウ栽培から醸造、熟成、瓶詰めまで一貫して行うワイン生産者のこと)設立は曽我さんの理想を体現する最初の事例となった。次のフェーズは自らワインを造る農家が増えて、産地形成が円熟していくことかもしれない。
ドメーヌ・ミズキナカイのワインの銘柄は「ノボリノオカ」という。「ここの地名である登町の登、畑が丘の上にあること、それに農家であること、この3つの意味を込めました」と瑞葵さん。これからの余市のワインと農家の理想形が目に浮かぶ、良いネーミングだと思う。
撮影=浮田泰幸
バナー写真:北海道・余市にて収穫直後のピノノワール。数あるワイン用ぶどうの中でもとりわけ繊細な品種だ
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