曲がり角に来た日本のマラソンブーム─急拡大の末に直面した壁
全国に急拡大した市民マラソンブームが、曲がり角に来ている。長野県松本市の松本マラソンでは参加者の減少から赤字となり、それを隠すための不正が発覚した。新型コロナウイルス禍の時期には大会数もランナーも激減。その影響が尾を引いている様子だ。ブームは一過性で終わるのか、それとも復活の兆しはあるのか──。
松本マラソン 今秋は中止
松本マラソンの不正は2023年大会の決算で行われた。実際には3915万円の赤字が出たにもかかわらず、担当職員が大会のイメージ低下を恐れ、運営業務委託費の支払いの一部を翌年に回すなどして、75万円の黒字として処理していた。24年大会も参加者が集まらず、4380万円の赤字を計上。未払い金が生じ、今年2月、受託業者である信濃毎日新聞社が問題を指摘し、不正が発覚した。
4月の定例記者会見で、大会実行委員長を務める松本市の臥雲義尚(がうん・よしなお)市長は「当時の担当職員らは、大会運営が軌道に乗れば、23年大会の赤字分を24年大会以降の収入で対応できるといった極めて甘い見通しを持っていた」と述べ、「エントリー数が伸び悩んだこと、警備員の配置など固定的にかかる経費が多くを占めたこと、輸送費や人件費の物価高騰の影響が大きかったことなどの要因が重なった」と説明した。
実行委は外部有識者らによる第三者委員会が問題を検証するため、11月に予定していた今年の大会は中止すると発表した。26年以降の大会については、関係機関で再開するかどうかを検討するという。
問題の根本的な原因は、やはり赤字を招いた参加者の減少にあるだろう。台風(18年)やコロナ禍(20、21年)で中止になった大会を除き、これまで計5回開催されてきたが、参加者は第1回大会の17年は8611人、次の19年は7134人、22年は4710人、23年は4267人、24年は4586人だった。大会スタート時に比べ、半数近くにまで減少した。
松本マラソン以外の大会も、軒並み苦戦している。夏場のレースとして実績のある北海道マラソンは昨年、定員の2万人に達せず、徳島県の「とくしまマラソン」も24、25年と2年連続で定員割れ。地方の大会は思うように参加者が増えず、コロナ禍前の水準にはまだ戻っていない。
笹川スポーツ財団が2年に1度調査している「スポーツライフ・データ」によると、年1回以上のジョギング・ランニング実施率は20年に過去最高の10.2%、推計実施人口は1055万人を記録した。ところが、コロナ禍を経て2年後に行った調査では、実施率は8.5%、推計実施人口も877万人にまで落ち込んだ。さらに24年調査では、7.7%、806万人と減少に歯止めがかかっていない状況だ。
運営費と参加費の高騰
運営経費も巨額になり、その支出分を賄うために、近年は参加費の高騰が問題となっている。例えば、東京マラソンは2007年の第1回大会は1万円だったが、来年は1万9800円に。今年の横浜マラソンは1万8500円、神戸マラソンは1万8000円、大阪マラソンは1万6000円などとなっており、全国的に高額化している。昨年の松本マラソンは1万2000円だったが、地方の大会は都市部から参加するランナーに交通費や宿泊費がかかる。コロナの制限がなくなった後は外国人観光客も増え、各地のホテル代が値上がりしている。費用面から参加をためらう人も多いようだ。
物価上昇も追い打ちをかけている。東日本大震災の津波被災地を走る「東北・みやぎ復興マラソン」は今年限りでの終了が決まった。主催者は「物価高騰の影響を受け、開催のための経費が急騰している現状があります。大会の継続には大幅な収入増と大会経費の圧縮が必須となります。ランナーの皆さまへの過度な負担増は私たちの本意ではありません」と発表。復興支援を目的に17年に始まった大会は、早くも幕を閉じることになった。
どの大会も開催には多大な労力と準備が必要だ。レースを行う道路の警備や沿道のボランティア配置、記録チップによる計測や参加証の配布、更衣室や仮設トイレの設営、ふるさと産品やマラソングッズの販売所設置など、作業は挙げればきりがない。地方では人手不足が深刻で、高齢化も相まってスタッフ集めに苦労している。
飽和状態で差別化も難しく
現在につながるブームのきっかけは、東京マラソンの創設だ。新宿、銀座、浅草などが最大7時間封鎖され、約3万人のランナーが都心を駆け抜ける。英国のロンドンや米国のボストンなど世界的なレースに引けを取らない国内初の大都市マラソンとなった。大阪、横浜、千葉、埼玉、神戸、京都など主要都市がこの流れに続いた。
第1回東京マラソンで、東京都庁前をスタートする約3万人のランナー=東京都新宿区、2007年2月18日(時事)
地方の都市では観光資源としてのメリットに期待する側面も大きかった。11年に観光庁が設置した「スポーツ・ツーリズム推進連絡会議」の基本方針では、「全国各地の魅力的な都市・地域で開催されている市民マラソンなど、多くの国民が親しむ『する』スポーツが存在する」と記され、地域活性化の起爆剤ととらえる風潮が強くなった。
国内最大級の大会エントリーサイト「ランネット」を運営するアールビーズ社が、雑誌『ランナーズ』で発表している「全日本マラソンランキング」の対象大会(日本陸連公認など)は、東京マラソンが始まった06年度は全国で50大会だった。コロナ禍に見舞われた20年度は25大会、21年度は31大会にまで落ち込んだが、再び増加の傾向を示し、24年度は過去最多の92大会にまで膨らんでいる。
スポーツと観光の関係をまとめた『スポーツ・ヘルスツーリズム』(大修館書店、原田宗彦・木村和彦編著)では「これほど全国で数多くの市民マラソンが開催されるようになり、参加者の誘致合戦が繰り広げられるようになると、地元住民によるサービスの面では差別化が難しくなってきている」と指摘されている。全国への拡大が飽和状態に達し、結果的に参加者減少の一因となっている模様だ。
市民マラソンの歴史とトリム運動
歴史を振り返れば、日本におけるマラソンの草分けは、1912年ストックホルム五輪に日本初の五輪選手として出場した金栗四三(かなくり・しそう)である。NHKの大河ドラマ「いだてん」の主人公になったことで有名だが、箱根駅伝の創設などで長距離走者の育成にも尽力し、「日本マラソンの父」と呼ばれる。
市民の間でマラソンが人気を集めたのは、70年代の高度経済成長期だった。金栗の地元、熊本県では72年、金栗を名誉会長とする「熊本走ろう会」が設立され、翌年には「遅いあなたが主役です」のキャッチフレーズを掲げて「天草パールラインマラソン」を開催。走ろう会の活動は全国各地へと広がり、東京では青梅マラソンの参加者が急増した。
飛躍的な経済成長を担う日本の労働者にとって、健康づくりは欠かせないものであり、社会にとっても新たな課題だった。働き詰めの日常を癒やしてくれるのは、自らが心地よく汗をかくスポーツだった。そんな中、北欧の国、ノルウェーから伝わってきた「トリム運動」が注目を集めた。
トリムとは、ノルウェーの造船用語で船のバランスを保つことを意味する。転じて、スポーツによる健康・体力づくりを通じ、心身のバランスを保とうという運動だ。今も「トリムコース」などの名前がついたランニングコースが各地にあるのは当時の名残である。
ジョギングやランニング、マラソンはそうした時代背景の中で社会に浸透していった。21世紀に入ると、東京マラソンの開催で再びブームに火が付き、市民ランナーが急増する。1周5キロの皇居外周では朝から夜まで人々がランニングを楽しみ、「ランナーの聖地」と呼ばれるようになった。
東京都千代田区にある皇居外周を走る「皇居ランニング」(PIXTA)
コロナ禍で減ったランナーは戻ってくるか
ただ、近年のブームは商業主義に走りすぎた感が否めない。東京マラソンなどの大規模な大会を大手企業がこぞって協賛し、スポーツ用品メーカーもシューズやウエアの売り上げを伸ばした。観光客を集める狙いでマラソン大会を始めた地方都市も多い。大会規模が大きくなるにつれ、参加費も跳ね上がった。しかし、コロナ禍を経てそうした機運は失速し、ランナー熱も冷えたと言わざるを得ない。
マラソンの醍醐味(だいごみ)は、苦しさやつらさを乗り越えて得られる達成感だろう。準備段階のトレーニングやレース戦略を立てるのも楽しみの一つだ。大会に出れば、沿道から大勢の声援を受け、日常では味わえない感動や興奮にも巡り合える。
検証が必要なのは、松本マラソンだけではない。一度離れたランナーを呼び戻すには何が必要か。一時期の流行に終わらせないためにも、市民マラソンの原点に立ち返り、持続可能なあり方を改めて問い直す必要がある。
バナー写真:東京マラソンには市民ランナーが多く参加するが、参加者が定員に満たない大会も各地で目立つようになった=東京都新宿区(時事)
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